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- ㈱音元出版のAV/オーディオ/ガジェット情報サイト「Phile-web」(2016年5月23日版)
歌譜喜のレコーディングは前回(GENE)から約4ヶ月ぶり、2度目になる。
今回もまた、夜スタートで朝までというメンバーにとっては過酷な条件下でのレコーディングであった。ただ、個人的には夜型人間であるので特に問題はなかったが。
今回は北欧の音楽ということで、勝手な想像から「透明感」を如何に出すかということを録音の主眼に置いた。しかし「透明感」と一言でいっても様々な概念を包含している。
それは対象物自体のもつ「透明さ」と、それがおかれた環境の「透明さ」の二つが相互に作用して生まれる。しかも物質(それが対象物であれ、それを取り巻く周辺環境であれ)が「完全に透明」であっては、「透明感」を感じることはできない。それは「透明」ではなく、「無」だからである。
音楽において、その対象物(音を奏でる楽器、歌譜喜においてはメンバー個々の歌声)は、勿論「無」ではない。歌譜喜においてはメンバーそれぞれに個性を持った、つまり「色」のついた存在である。これら6つの「色」は時に際立った輝きを見せ、また時には全体が混ざり合ってひとつの色を生み出して行く。その「際立ち方」や「混ざり合う様」をくっきりと感じさせることが、音楽の「透明感」といえるのではないか?
今回はそのテーマに挑戦し、ある程度までは実現できたと個人的には思っている。
言葉にするのは簡単である。
自分でそうだと言い張るのも簡単である。
でも結局最後は、リスナーの皆さんがそう感じてもらえるか否か? が全てなのである。
「プラシーボ効果」と呼ばれる身体的作用がある。ある病気の特効薬だといって偽薬(小麦粉とか砂糖水とか)を投与しても、一定程度の患者はそれを信じて病気が治ってしまうというといった効果である。音楽においてもそのような効果は良く認められる。いや寧ろ音楽においてのほうが、その様な外的要因に左右されやすいと思われる。
だから我々は様々な手段を用いて音楽のことを褒め上げる。そしてそれは録音に関する技術的なことにおいてもそうである。曰く「**のマイクを使用した」とか、「録音機材はこうだ」とか・・・。でもリスナーはマイクそのものの音を聞いているわけではない。リスナーが聞いているのは歌譜喜の音楽であり、その歌声である。そこに透明感を感じるか否かに、機材の種類は、直接は関係しない。勿論重要な要素のひとつではあるのだが、それだけではない。他にももっと色々な要素があるはずだ。そう考えると、機材のこととかを並べ立てるのはプラシーボ狙い以外の何者でもないような気がしてきたので、こんな文章を書いてしまっている。
リスナーの皆さんには、できるだけ先入観を取り除き、できるだけ「透明な気持ち」で、このアルバムを聴いて貰いたい。そして歌譜喜のメンバーが紡ぎ出す音のタペストリー(それは同時に万華鏡のように刻一刻と変化するのだが)に酔いしれてもらいたい。その心地よさにある種の「透明感」を感じてもらえれば、今回の録音は成功したと言えるのだろう。